『負けるのは美しく』 児玉 清 抜粋

火曜日, 8月 28, 2012

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彼らの予想通り、ワンカットの撮影が終了したのは翌日の午前5時過ぎであった。その間、声を絞り出してはひたすら「トップ空けとくぜ!」を言い続けたO氏。それを続けさせたS監督。なんとも僕にとっては不思議な体験であった。支配するということは、恐れを抱かせることだとは、かのイギリスの哲学者バートランド・ラッセル卿の言葉だが、スケープゴート、つまり打たれても文句の言えなそうなサンドバッグ人間を見つけては、めちゃめちゃにいじめて、周りの人間に恐怖感を植えつけ、そのことによってコンセントレーションを高め、君臨しようとするためなのか。……夜食後はO氏に、何度も“立ち上がれ! なんで横暴な監督に、冗談じゃないぞ! と尻をまくらないのか”と念波を送っていた僕は、これだったら、最初に言ったセリフの方がはるかにいいじゃないか、と思うセリフであっさりと朝方に監督のOKが出たとき、映画創りの現場のある種の非常さと、それも監督の心の在り方次第だということを肝に銘じたのだった。単なるいびりの快感のためだけの、芸術という名の下の暴力には絶対に屈しないと心に誓ったのだった。監督生贄にはなるものか、と。(P.56−57)

欲望が渦巻く撮影所では、あることができるか、できないかで役が決まることが多々あるため、できないことでも平気でさっと手を挙げる俳優が何人もいた。その人たちは単なる噓吐きもいたが、大部分の人は「できる」ということの意味をとても簡単に、低いレベルのところで考えていたからだと思えてならない。(P.59)

俳優の仕事が如何に勇気と気力を必要とするかを実感したのは、撮影所に入って早々のことであった。芝居が上手いかまずいかより、いや演技力があるかないかより先ず真っ先に問われて、何よりも一番大事なことは、いついかなるときでもファイティング・ポーズを取り続けることができるかということなのだということを知ったのだった。
弱肉強食の世界、売れている者が勝ち、の社会であれば当然のことながら新人は先輩たちからむしられるのだ。このむしりに一度でも悲鳴をあげたら一巻の終わりだ。雄々しく闘わなくてはならない。敵は探りを入れているのだ、どんな奴かと。根性があるのか、無いのかを。いじめ甲斐があると知れば、それこそ絶対の餌食で、弱いところを見せたら、一斉にそこを狙って攻めこまれる。そしてこの瞬間から、この俳優の輝きは失せる。人格を失うのだ。(P.79)

「ねえ、児玉ちゃん、役者はね恥をかくことを恐れちゃだめなんだよ。君を見ていると自意識過剰というのか、君はそのつもりじゃなかもしれないが、ただ胸を張って突っ立っているように見えるんだけど、もっと地面に転ぶというか、役者は泥まみれになることを恐れちゃいけないんだ」諄々と優しく説いてくださる西村さんの言葉はまさに干天の慈雨のように僕の心に深くしみこんだ。(P.85)

あの当時ウルトラマン映画と同じように、どちらかといえば軽んじられていた、軽薄物と謳われていた古沢監督作品の一連の「無責任」シリーズは、突出した植木等さんのキャラクターと底抜けの陽気さとともに今もなお生き生きと輝きを失っていないのだから、人生は楽しい。(P.120)

今では天職という思いで母に心から感謝しているのだが、最初の十年間ほどはまさに地獄といった辛さと口惜しさで、母の「行きなさい」という言葉を呪ったものだ。というのも、足を踏み入れたとたんに馬鹿にされ、どうにもそれが口惜しく、それだけで俳優の世界に踏みとどまってしまったからだ。しかも次々と襲いかかる不利な条件というか不条理な出来事。口惜しさ、無念さは重なるばかり、やればやるほど物事は旨く進まず、浮かび上がれず、どうにもやめられなくなって、心の中で地団駄踏んでいるうちに最初の十年が過ぎてしまったのだ。(P.280)

失敗はすべて自分の責任。いくら他人を責めても詮方ない。敗因のすべては自分自身に帰するのだ。だから、その口惜しさは言語に絶するものがある。身もだえし、自分をいくら罵っても救いはこない。ただひたすら自分の至らなさを思い知るだけだ。そんな中で唯一の道は、いや自分を救ける道は、ひたすら自分を磨くことしかない。どんな方法で磨くのかはまったくわからないのだが……。(P.282)

そこで心に期したことは、負けるのは美しくということであった。所詮、僕のスタイルを押し通そうとすれば、最後にはすべて喧嘩になり、暴発して限りがない。ここで思い出されるのが、性格は運命だというヘラクレイトスの言葉だ。なれば、どうせ負けるなら、美しく負けよう。このことにこだわっていれば、もしかしたら、嬉しい勝ちの日を迎えられるかもしれない。いやこれは冗談だが、すべては負け方にあり、負け方にこそ人間の心は現れる、と、しきりに思うことで、心が静まったのだ。(P.283)

果して、美しく負けられたのか、はわからないが、毎回、懸命に闘ってきたのは事実だ。(P.284)
児玉 清
560円
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