メディアは、原発やダイオキシンのような珍しい(小さな)リスクを大きく扱うのは合理的だ。行動経済学の言葉でいうと、メディアは必然的に代表性バイアス(特殊なサンプルを代表とみなす傾向)をもっているのである。
問題はメディアがバイアスをもっていることではなく、情報が少数の媒体に独占され、十分多様なバイアスがないことである。だから必要なのは、ありのままに発表して多くのメディアが相互にチェックすることだ。
したがって新聞やテレビのように読者の関心を引きつける必要のない非営利のネットメディアが、バイアスを中立化する上で重要な役割を果たす。今回も科学者がブログで客観的データを提供し、ツイッターでも「放射能に騒ぎすぎだ」という意見が圧倒的だ。
売るために特殊なリスクを誇大に伝えるマスメディアのバイアスを普通の市民のインターネットが打ち消したとすれば、日本社会も成熟したのかもしれない。これは今回の災害の中で、数少ないよいニュースである。
メディアのバイアスが作り出す「放射能の恐怖」 | エコノMIX異論正論 ニューズウィーク日本版
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2011/03/post-303.php
松永 和紀 777円 評価平均: powered by yasuikamo | |
本当に危険なものは何? 疑問だったことが・・ 国民ひとりひとりが正しく知るべきこと |
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