16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。
悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、腹が立ったからだとわかりました。
私はこの地震で何も失っていない部外者です。
ただの「被災していない人」です。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」と友人に訊かれたので、こう答えました。
まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」はただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。
安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、ほんとうに嬉しかったです。
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです。
the true, the good, and the beautiful // 今村岳司XDL - diary
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