問題は「コミュニケーション能力」というものへの誤解です。
まず確認しておきたいのは、学校の世界などに見られる「仲間うちの空気を読んで同調し差異を押し殺す」ようなコミュニケーションというのは「高度」ではないということです。
会話の前提条件となる情報が共有化されていることであって、内容のほとんどは予定調和です。
そもそも「場の空気」の「同調圧力」にタダ乗りしただけの会話のほうが高度だというのは間違っていると思います。
現在の社会が求める「コミュニケーション能力」とは「空気同調能力」でもなければ「理不尽へのストレス耐性」でもありません。
それは、複雑な利害関係で成り立っている現代社会において「自らが対立の結節点に立ち」「対立の構造を理解し」「対立の調整に必要な、正確で迅速な情報流通の司令塔になる」という態度と能力のことを指すのです。
「有機的で高度な情報処理」以外のスキルは定型化されて廉価な労働になるか、もしくは機械化されているのが現代という時代なのです。
誤った「コミュニケーション能力観」が横行する中で、論理や事実を重んじる資質を持った若者を人間嫌いに追い詰めるのは間違っています。
「コミュニケーション能力」への誤解が生む悲劇とは? | プリンストン発 新潮流アメリカ | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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